まんまんルサンチマン

ないしょの話

性交渉

なぜ自分が性交渉に囚われているのか考えてみることで、そこから解放されたいと願い、今日はそのことについて書くことにしました。

 

初めて性交渉をした相手は妹でした。妹は泣いていました。私も泣いていました。朝方、何故こんなに悲しいのに生きていないといけないのかと泣く私を妹は慰めてくれていたのです。次の相手は祖父でした。祖父は私の胸が大きくなることを願い胸を触ってくれました。祖父はキリスト者の端くれでしたから、私が姦通は働きたくないことを認め挿入はしませんでした。

 

中高は女子校だったので、はじめのうちは自分と周囲の処女性は清く正しいものだと思いながら生きていました。学年が上がっていったとき、ある女子に「あなたは膜があるから私より下である。高校生にもなって膜があって恥ずかしくないのか」と言われました。その時、周りの女の子のように毅然と「婚前交渉をする方が誤りです。」と対応すればよかったのに、私はその言葉で傷つきました。誰かに抱いてもらわねばならぬ。処女のまま死んだらどうしよう。そういった思いに囚われました。教師に相談したところ「君は処女のイデアのような格好をして清いのがいいところだ。君の処女を私が買ったことにしよう。大丈夫無利子無担保で貸したことにするから。」と通帳を渡されました。通帳ではなく男根が欲しかった私はブランコに乗って大泣きをしたのを覚えています。

 

高校卒業後、大学に行けなかった私は、ある日呼び出された友人の家で強姦されました。当時の私は知らなかったことでしたが、人の家に入るということは性的同意を示すようです。私は自分の重荷がなくなってよかった、と思う反面、もう神様に愛されることはないんだな、ととても悲しくなりました。

 

恋人ができて、恋人と寝るとなり粘膜接触をしてしまう自分を許さなかったので、粘膜接触をしないと死んでしまいそうな、精神に疾患がある人とだけ付き合ったし、粘膜接触をしないと死ぬ!と騒いでいる人とだけ寝ました。気付いたら私が粘膜接触をしないと死ぬ人となっていました。皮肉な話です。

 

私は結局、自分のために生きることができなかった。自分のためにお洒落をしたり毛繕いをしたりすることができなかった。自分に興味がなさすぎて、寝る相手の要望に応えることでなんとか自分のまわりを整えることができただけの廃人でした。

 

そして私は人の言葉、自分の言葉を信頼できなかったから、行為の中での「気持ちいい」という言葉以外この世の中で真実を語る言葉はないように感じ、射精を受け止める以外に自分が他者を愛することができないと考えました。私は誰かに抱いてもらわないと生きていかれないです。